■ 発病、そして告知をうけた「こと」
足の親指の爪先が茶色に変色したのがはじまりでした。地元の病院での検査に時間がかかり、また対応にも問題があったため、わたしの母校の大学病院へ転院させました。そこで悪性黒色腫(メラノーマ)であることの告知を受けたのです。治療もその大学病院で受けさせるつもりでしたが、術式、病院の方針で母や家族の意向にそぐわないこともあり、また本人の希望もあって、そこでの治療を断念しました。
いろいろ調べた結果、都内に納得のいく対応をして頂けそうな先生を捜し出し、再度診断を受け、手術について相談したのです。そこで紹介された神奈川県の病院で、足の指、リンパ切除等必要な手術をして頂きました。術後、傷が回復してからの母は、前にもまして活動的にスポーツや友人との付き合いを楽しんだりしていたようです。「健康ってなんてすばらしいのでしょう!」と何度も口にしていました。執刀して頂いたドクターへ、どれほど感謝したかわかりません。
母は完治したように見えました。私たち家族もほっとひと安心という感じでした。 ところが、40日ほど経つと、母は時々右半身を柱やドアにぶつけるようになりました。直ちに精密検査を行いました。
がんは脳へ転移していました。
■ 苦しい闘病生活の「こと」
脳へ転移してからのがんの進行は恐ろしいほど速く、瞬く間に母のからだの自由を奪っていきました。母は治療を信じて淡々と闘っていました。快適な環境で回復してほしいとの家族の願いから、父が個室を準備しました。費用は決して安いものではありませんでしたが、何とかすることが出来ました。
家族の誰かががんにかかると、その家族の誰もが、「なんとか助けたい、がんをやっつけたい」と願うのはあたりまえです。助かることを信じて家族一丸となって気力をふりしぼって闘っていきます。 金銭的な問題はその後に生じてくるのです。
心身ともに激しく消耗する看護でした。当時、わたしには1歳の子供がいましたので、付きっきりの看病には無理があり、わたしの妹が代わってそれをしてくれました。母が再入院してからは、わたしと妹が夜、交代で付き添いをしました。
わたし達は最期まで回復の望みを捨てることはありませんでしたが、平成9年の1月18日に母は永眠しました。 |